revised : 2004.12.28
(original : 1998-99)


oder の多重録音人生〜

あるいは間違いだらけの打ち込み人生

  • 初めてのシンセサイザー (KORG POLY-800)
  • 初めてのMTRぅ (TASCAM Porta Two)
  • 初めてのシーケンサー (KAWAI Q-80)
  • 初めてのマックぅ (Macintosh LC520)
  • 初めてのHDRぅ (AudioMedia LC + Studio Vision Pro)
  • HDRその後 (Roland VS-880)

  • その後:21世紀も続くあほあほ多重録音人生(>_<)/ <-- updated : 2005.01.05




    初めてのシンセサイザー

    それは、高校2年生のときに初バイト(郵便局の年賀状配り...)と全財産をつぎ込んで
    購入した KORG POLY-800(\99,800) でした。シンセサイザーそのものとの出会いは、
    もう少しさかのぼって中3のときに親友が手に入れた Roland SH-101 でした。
    それまでシンセサイザーを知らなかった僕とその友人はその時「何でこれ和音が
    出ないんだよぅ、壊れてるんじゃないのぅ?」などと訳もわからずでした。

    で、高校2年。初めて2年目のバンドに熱中し、オリジナル曲を作るんだああっ! と鼻息も荒くお茶の水の楽器屋をまわってカタログ集めては夢を膨らませつつ 何十万円もするシンセサイザーなどというものは買えない..と思っていましたが、 当時10万円を切るシンセとして登場したのが POLY-800 でした。 他にも電池駆動できる、ストラップが掛けられる、白黒逆の鍵盤(ハープシコード的)も ある、など80年代的ポップさ&画期的な仕様で、もうこれしかないって感じで、 頑張って購入しました。

    15年以上経った今でも僕の手の届くところにおいて あります。(でも弾いてはいないけど...)


    当時 Roland SH-101 を持っていた親友の今がここに。
    電脳MILKTANK





    初めてのMTRぅ

    oder は高校卒業後、東京はお茶の水にある某S台予備校に1年お世話になってましたが、
    バンドをやってる友達から4トラックのカセットMTR、TASCAM Porta One をちょっと
    貸してもらったことがその後の僕のお金の使い道を誤らせる大きな原因になるとは、予想
    してませんでした。当時作っていた曲をこれまた一緒に借りた KAWAI R-50(リズムマシン)
    にこつこつと入れて3日程の突貫工事で録音して、ベースもメンバーから借りてきて弾いて、
    キーボードも何度も失敗しながら録り直して(まだ MIDIシーケンサーを知らなかった)... 
    今聴いてみるとかなりノイズがヒドイですが、当時はこりゃプロの道が開けたんじゃない
    かああっ!と勘違いしてしまうくらいのアメイジングな装置だったのです。(受験勉強は
    何処へ..)

    で、大学入学と同時にそのとき最新だった TASCAM の Porta Two (\108,000だったかな)を 購入しました。それだけでもう気分はプロです、はい。


    そのときバンドをやってたという親友の今がここに。
    HIP BOTTOM MAKER





    初めてのシーケンサー

    さて、シーケンサーです。バンドを始めて5年、作曲を始めて3年目の oder に一つの
    転機が訪れました。MIDI シーケンサーです。それまで僕はカセットMTR+リズムマシン
    という組み合わせで、まずはリズムマシンでドラムのパターンをあれこれ考えてばかり
    いました。まあドラマーだから当然?ここに一番時間を掛けてしまう..で、それをMTR
    に録音してそれに合わせてベースやギターを録音する、という手法でいろいろ録音して
    いました。(しかし1つの曲として完成してるものが少ない..当時は自分が歌を歌うなんて
    とんでもない!と思っていたので!)

    機材収集への憧れはこの頃から始まってまして、楽器屋にときどき足を運んでは作曲の ツールを物色してました。時は 1990 年、まだシンセは同時発音数16音の時代です。

    僕がかなりガーンと来たのはそのとき出た、Roland Sound Canvas SC-55mk2 でした。 店頭で曲データが流れていたんですが、「これならもうバンドはいらない!」「自分の イメージした通りのオケが作れる〜」と感激したものでした(註:当時は通信カラオケ なんてのもなかったし、マルチティンバー音源自体が新鮮という時代でした)。 店のヒトに色々聞いたところ、どうやらシーケンサーというモノとこの音源というものが あれば良いのだな、ということになって SC55..と行きたいところだったのですが、予算が なく、当時安くて僕らの味方だった KAWAI のシーケンサー Q-80 と音源モジュール PHm (16音ポリだったかな)を手に入れました。

    この後は、ホントに試行錯誤の連続でした。MIDI について全く分からなかったし、周り には知ってるヒトもいなければ本なども売ってなかったし勿論インターネットもなく... とにかくデタラメにいじり倒しました。もう最初から音が出ない、せっかく弾いたのに 録音(記録)されてない、などなど。

    ちょっと使えるようになったらなったで、今度は同時発音数の壁にぶち当たります。 ストリングスとピアノを重ねてジャジャジャ..プツプツプツ、うそ〜ん音切れ。せっかく 重厚なアレンジにしようとしたのにこれじゃだめか。コードのボイシングを考えたりする 良い勉強にはなりました...音源を買い足すような財力も無く...この時期は曲作りという よりそれ以外のところでたくさん悩みました。





    初めてのマックぅ

    もう今から<>7年くらい10年以上前の話になってしまうんですねぇ..早いもんです。僕にとって最初の
    Macintosh は LC520 というモニタ一体型モデルのマックでした。パソコン自体は、大学入学の
    年に父親と一緒に買った NEC の名機 PC-9801VX21 でしたが、それは音楽製作には全く使用
    しませんでした。殆ど父親のお仕事マシンと化してました。そして大学生の中頃、楽器屋で
    見掛けた Performer + Mac(確かSE/30?)で100万円近くしていた作曲環境に魅せられて、
    以来ずっと熱を上げていた Macintosh による音楽製作。待ちに待ってついに30万円を切る 
    Mac が手に入る時代がやってきたのでした。(今のガキどもは良いよなぁ..つくづく) 

    おすわりワンちゃんみたいなそのパソコンは CPU 68030 の動作クロックが 25MHz。RAM が 8MB に、ハードディスクが 160MB..という、当時わりとフツーの構成でした。 ソフトが無かったので、自分で当時出たばっかりのクラリスワークスを買いました(ver1.0)。 Microsoft より好きで、今でもその ver1.0 のまま使ってます。

    で、夢の?音楽製作環境ですが、友達から EZVision 2.0J を手に入れ、さらに SC-55mk2 を手に入れました。遂に自分の思いのままの環境を手にしたのだああっ!と思いがんがん 使い方を覚えましたが、思ったより早く同時発音数不足の壁に突き当たりました。やはり 28音ポリでもだめか..

    しかし、以前の環境よりはまし...といろいろ工夫を重ねつつ、EZ Vision のファイルだけが どんどん増えていきました。どーでもいーけどMTRに録ってボーカルも入れろよなって感じ なのですが、「まだ」当時は自分が歌うなんてとんでもない〜いやん恥ずかしいという時代 だったのでした。また丁度 oder 初のフュージョンバンド加入の時期だったので、オリジナルも インスト曲中心でした。





    初めてのHDR(ハードディスク・レコーディング)ぅ

    そしてHDRです。既に肝心な作曲よりも機材ヲタクと化していた oder は無謀にも
    ハードディスクレコーディングで夢のスタジオだ〜と鼻息を荒くしていたのでした。
    まだHDRという単語が全然市民権を得ていない時期です。それもそのはず、フツーの
    家庭ではせいぜい 160MB から 200MB 程度のハードディスク容量だったわけですから、
    ステレオ 2ch、16bit/44.1kHz で録音したら1分で 10MB くらい食っちゃうわけで... 
    4ch マルチで録音しようとしたら5分の曲なんて 100MB...あっという間にディスクが
    いっぱいに。 しかし、無け無しの金を払って憧れと勢いで Studio Vision Pro(高かった!)
     と AudioMedia LC(これまた高い!)をローンを組んで購入〜。馬鹿者です。

    そしてその後は予想通り苦労の連続でした。 ビンボー素人さんには早過ぎたハードディスク・レコーディング...

    まず、パソコンを分解したこと自体なかったし、その後も一生懸命ハードディスクを整理 して 100MB 程の空き領域を捻出し..しかし LC520 程度の Mac では4ch同時再生が 出来なかった! 今考えると CPU よりも HDD の回転速度とアクセススピードの問題だと 思うのですが、当時は音切れの理由もわかりませんでした。 ただ、デジタルで音を録ってエディターで波形が出てそれを切ったり貼ったりする作業を しつつ格好良いぜ俺ってやつは、と独り悦に入ってました。

    しかしそれもそんなに長く続くわけもなく...





    HDRその後

    やはり実際使っていると LC520上でのHDRは苦労の連続でした。特にハムノイズが
    結構目立つのと音切れするのは何とも頂けません。他にも残り録音時間を気にしながらの
    ギター録りなど冷や汗もんな事情もあって次第にフラストレーションが...(T_T)
    「やはりパソコンでHDRなんてやるもんじゃないのだ〜!」と怒る一方「くっそ〜
    もっとパワーのあるマックを導入すれば夢のスタジオになれるのに〜」更に馬鹿です。

    そして(学生にオサラバして会社員になったというのもあるが)ついにマックを買いかえる という暴挙にまで発展するのでした。あああああ。しかし今考えてみてもあの時は凄い 飛び降り方をしたなあ。PowerMac 8500/120 当時50万円ですぜ〜!借金しました。 よっぽど前のマシンにストレスが溜まってたんだな〜。

    しかしアンラッキーでした。分かってたのですが新しいマックは丁度 NuBus から PCI に ボードの規格が移行する時期で、PCI Bus の HDR 用のカードが全然世に出てなかったの でした。AudioMedia PCI (その後 AudioMedia III としてリリースされました)という やつが近々出るとの情報を得たので前の LC のボードを売ってしばらく待ったのですが... これがなかなか出ずにまたもやもやもやもやとフラストレーションが〜と云うときに! 出ました!R社から HDR の専用機! V-Studio だって! 迷った挙句買いました。 またもや借金(借金だらけだって? ..いや〜現在はもうローン残ってないですよぅ)。

    結局HDR専用機に落ちついたのでした。

    どーでもいいから曲作れよなあ、おれ。



    もどる

    その後:21世紀も続くあほあほ多重録音人生(>_<)/ <-- updated : 2005.01.05